副委員長級

Constantine

 フィクションの破綻っていうのは、なにも題材や対象が現実と相似していないから起きるのではなくて、カメラ・アングルとか編集とか、もろもろの形式的なミスが引き起こす。素朴な自然光で撮られたドキュメンタリー風の作品もそこを誤ると無残な結果になる。嘘を本当らしく見せるためには徹底的に嘘をつこう。内容ははなから嘘。形式的な嘘が外皮となって観客の暴露から身を防ぎ、心情を操る。同じ空間にいるキアヌ・リーブスの顔はロー・コントラストでまんべなく明るいのに、レイチェル・ワイズの顔はハイ・コントラストに暗く沈んでいるという非現実性も、このフィクションにおいては正しい方法だった。悪魔退治の道具を収集しているおっさんのアジトがボウリング場だというのも正しいし、固有名は忘れたがめっぽう強くなるという剣が砂漠にあったというのも正しいし、現実と地獄を媒介していたのが液体であったことも正しいし、キアヌ・リーブスがなで肩であったのも正しい。何よりも、待ち焦がれて出てきたサタンを演じていたのがピーター・ストーメアだったことが圧倒的に正しい。 面白いところはないのに生真面目さゆえに憎めない学級副委員長のような作品。