謎いくつか。

 『ドーン・オブ・ザ・デッド』に関して一昨日書いた粘着性については、サラ・ポーリーの肌のべたべた感を忘れてはいけない。しかし彼女はゾンビに立ち向かう存在だ。ここにおいて乾燥と粘着性の対立が崩れてしまう。先日はやや安易に形容してしまったゾンビについて調べてみた。
ゾンビ-Wikipedia
 「腐った」とあるからには粘着性の側だろう(まあ乾燥しているにしても本作の奴らの粘着性はゆるぎないが)。二項対立は崩れ去る。今後はサラ・ポーリーの肌の粘着性を思考しながら本作を見なければならない。


 『宇宙戦争』(スティーブン・スピルバーグ監督 2005)において、レイ(トム・クルーズ)と彼の子供二人が自動車で疾走するシーンにはとても興味深いショットがある。車体をぐるっと一回りしながら常に車体をとらえ続ける長回しだ。ショットの始まりは車体前部で、それが数十秒続く。それからカメラが右に回り、背後に回り左に回り再び前部へと。
 始まりの車体前部は、それが長い時間続くため、この車はもう一台の車に引っ張られていてその荷台にスタッフが乗り撮影しているのだろうとほとんど確定的に思わされる。ところが回り込みが始まった時点でこの予測は外れたことになる。つながっていはいない。ではそれなりの危険を冒して二台べつべつの車を接近させて撮影されたのか。しかしそれにしては移動は滑らかで的確に車体をとらえられている。加えて路上には動かなくなった車から出ている人もいるのでやはり危険だ。そうして再び車体前部がとらえられた辺りで思う、ほんとうは車は動いてなかったのではないか。この車は四方ブルースクリーンで囲まれたスタジオ内でじっとしていたに過ぎないのではと。
 本作において宇宙人やその乗り物の類は当然CGではあっても、時代設定は現代、単に車が道路を走るショットくらいは単に車が道路を走るものだろうとと思い込んでいたのだが。本物だと思っていたものが偽物だと緩やかに気がつき始める経過、本当にいると疑わなかったひとが別れた後に幽霊だと気がつくような経過に似たそれは、背筋が凍ると同時にその背信が心地よかった(幽霊に会ったことは、いやそれを自覚した経験はないのだが!!!)。(本当っぽいけれど実は嘘、という映画独特の風味にここでも眩暈を覚えさせられたわけだ。)
 また同時にこのワンショットには、リア・プロジェクション*1からフロント・プロジェクション*2、ロケでの実際の操行撮影、CG、といった「走る車と乗る人」を巡る表現形態の変遷が見えてくるようでもある。大切に記憶していたいショットだ。


追記:ネット上あちこちみると『宇宙戦争』には否定的な意見が多くて残念だ。昨日の「擁護」はそれを予想してのものでもあったんだけれども。 まあキーワードは「小さなSF」ですよ。そして「50年代(SF/カラーのメロドラマ/フィルム・ノワール)」ですよ。


追追記:否定的意見がほとんどだ!!そういう状況でこそ褒めますよ。

*1:スタジオ撮影において、現存の被写体の背後にスクリーンを置き、カメラの位置からはスクリーンの逆側から、それに映像を投影することにより、現存の被写体の背後に虚構的に背景を作る方法。1932年頃から用いられる。

*2:リア・プロジェクションとは反対、カメラの位置からスクリーン手前から投影。1968年の『2001年宇宙の旅』より用いられる。以降リアは減っていく。