イーストウッド

vigo2005-01-27

 イーストウッドの新作『ミリオンダラー・ベイビー』が『ミスティック・リバー』をしのぐ傑作とかいう評判を聞くと、やや動揺してしまう。92年の『許されざる者』という傑作をとった後数年はやや小粒な作品を連発していたイーストウッドが、『ミスティック・リバー』の熱がまだ冷めないうちにまたやってくれたという感じだ。と、フロドンの『映画と国民国家』を読み返していたらこんな一節があった。

戦後、新しいジャンルやサブジャンルが出てきたものの、アメリカ映画の特徴に大きな変化はなかった。それはたえざる進展と、注目すべき、そしてしばしば偉大な現代性を持つスタイル上の寄与(ウェルズ、レイ、フラー、アルドリッチ、カサヴェテス、ペン、コッポラ、チミノ、スコセッシ、ジャームッシュ、バートン……)にもかかわらず、内的断絶も、美学的革命も知らない唯一の映画芸術なのである。そうした「現代的」な寄与を取り入れながらも―そしてまた1970年代の「ヨーロッパ流」映画愛もまた取り込みながら―、古典主義を守りとおしてしかもアカデミズムに堕することがないというのは、アメリカ映画のみに可能なパラドクスの一つであり、現在においてその最も完璧な代表例は間違いなくクリント・イーストウッドである。(p.119)

これほどイーストウッドを短く要約した言葉もない。イーストウッドの死が古典主義の系統に大きな傷を残すことになるのは間違いないと思う。