映画の論理

 映画関係の書物というとおおかた退屈なものばかりだけれど、加藤幹郎のそれだけは配本日当日にでも購入して読みたい。 蓮實某先生は同じことばかりしか言わないし、松浦寿輝氏はその鋭い感受性が分析対象として映画を見つめることの邪魔をする(感性を学ぶという点では氏は実にいいのだ)。四方田犬彦はいまいち深みがない(これからに期待します!)。
 映画都市東京の熱狂には距離をおいて京都で研究を続ける加藤幹郎は、映画の理屈抜きの面白さを保存しつつ、己を過信することなく精緻な分析を粘り強く続け自身の視線と映画史とを刷新することをやめないだろう。氏の豊穣で繊細だろう教育に鍛えられた京都大学のひとたちが、いつの日か、東大やその他で育ったひとたちを差し押さえて日本のシネマ・スタディーズ界を席巻するはずだと思う。さもなくば、日本に嫌気がさして海外に飛び出しているか。
映画の論理:みすず書房
「一九五〇年代のアメリカ映画はよく見る」というそっけないあとがきの出だしが気に入った。 どれくらいそっけないか。小泉首相が「霞ヶ関にはよく行く」と言うくらいそっけない。もとい彼は住んでるか。